oginomad = 荻野窓

カレー(スープカレー優先)を中心に荻野窓

oginomad = 荻野窓

音楽雑感

最近、見事なまでに淡々と食べたもの(まあ、というかカレー)を記録している。
久々に音楽のことを。

ティアーズ・フォー・フィアーズの3枚目のアルバムを久々に聴いた。もう20年以上前の作品である。
聴いていない間も、自分の中で評価が高まり続けていたのだ。
発売当初の日本盤(背表記がださい)と、発売後10年くらいして出たボーナストラック入り+リマスターされた輸入盤の2枚とも持っていて、2010年に発売された紙ジャケット盤(日本盤・ボーナストラック・リマスターを兼ね備えている)が出たときは決定盤として(1枚にまとめられるし)買おうかと思ったんだけど、2枚目のアルバムも紙ジャケットで揃えるとして、1枚目が紙ジャケットになっていないので結局紙ジャケットで揃わないから止めた。
これって、結構致命的だと思う。
確かに、1枚目は、アメリカで絶対にウケそうにない、ちょっと屈折していて、文学的な側面が強いアルバムだけど、実はそれぞれコンパクトな良曲が多くてとても見逃せない1枚なのだ。だから、これを見逃せるかによって判断が変わる。
この3枚目のアルバムは、圧倒的にポップな3曲目と、他の誰も真似できないくらいあり得ない奇跡的に成り立っている名曲の4曲目の前に、割と地味に響く1曲目2曲目があるのだが、実はこの2曲も非常に名曲。そして、レコードだとB面の後半はジョニ・ミッチェルをも思い起こさせる5曲目、どこか民族音楽風でもありながら広がりのある優雅な空間を作ってしまった(一言で言えば洗練されたプログレ、といったところか)6曲目に続いて、疑似ライブ風なのがフェイクなのか分からないが初期ロックのようだけど妙に冷めた視点が感じられる7曲目がなだれ込み、タイトルからして最後の言葉という8曲目を迎える。最初に出会ったときには何を聴けばいいのだ?的に感じたのが恥ずかしいほど、全ての音が身体に染み渡っていく完璧な作りだ。
そう、今では「ウーマン・イン・チェインズ」を1曲目に持って来た意味が分かるのだ。